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VIDEO PARTY’s program

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VIDEO PARTY’s program

[Time/Year/Category]

10works / 61min/2019

共催:Lumen gallery

[Link to watch]

 

[Artist]

<以下上映作品詳細>


TOCHKA

「360°」

1min20sec/2018

魚眼レンズをつけた一眼レフデジタルカメラ2台を用いて、360度のライトペインティング・ストップモーション・アニメーションを記録し、VRコンテンツを作る実験作品。撮影は、オランダのアムステルダム、ユトレヒトで行った。NHK Eテレ テクネ 映像の教室 でも取り上げられた。



丸山真貴子 Makiko Maruyama

「走る体」”Running Body”

2min40sec/2018

簡略化された動きや、欠如した繰り返される映像から予想される動きを「走っている」と認識するのは何故なのか、「走っている」と認識されなくなる限界点はどこにあるのか、そんな事を考えながら作った映像。AIが様々な分野に進出すると言われる昨今、映像は人の手で作られ続けるだろうと個人的に予想している。人が人の認識へ働きかける映像は人にしか作られないのではないか。今のところ。



山中千尋 Chihiro Yamanaka

「月の音」”Voice of the moon”

2min55sec/2018

「月が満ちなければかからない そんな場所がある。

丸いものがちゃりんと落ちる音と共になるコール音。

トン トン トン

受話器から声なのか音なのか分からない

振動が伝わってくる。

それは聞き覚えのある心地よさ。

ちらりと上を見上げれば、貴方がこちらを見ていた。」(詩:rinir)

彼女がどこから来たのか、また、どこに掛けようとしているのか、

はっきりと知ることはできない。

電話ボックスの中の少女は、今日も電話を掛けつづける。



Michael Lyons

「優美なインターバル」”Exquisite Interval”

3min56sec/2013-2016

ベルリンのマウアーパークフリマーケットで、S8フィルムが入っているカメラを見つけた。前半部分に何が撮影されていたのか見られないまま、残ったフィルムを撮影し、「優美な屍骸」にした。

前半を撮影した人はまだ見つかっていない。サウンドは、自作の装置「オクトパス」を用いて製作した。スクリーンに備わる光センサーからの電圧が、アナログ・シンセサイザーを制御し、映像そのものが楽譜として機能する。



林紗綾香 Sayaka Hayashi

「FLASH LIGHT PAPA」

5min15sec/2018

袋小路からの脱出

*ダガーを近づけるな



片岡拓海 Takumi Kataoka

「翳浪」

6min1sec

現れては消えていく捉えどころのない言葉を、文字の形を分解・再構成することで視覚的に表現した作品です。



おざかひなこ ozakahinako

「MOMOKO」

6min21sec/2017

実家で、ヤドカリを飼っていました。水槽からみるそれは毎日同じ表情で、決められた空間だけの生活で、なんだか可哀想だなあと思いながらも、ヤドカリが自分に重なってみえて。もやもやとした心の葛藤をアニメーションにしました。



芹沢洋一郎 Yoichiro Serizawa

「サヴァイヴァル5+3(デジタル捕獲版)」”Survival 5+3 (digitally capture version)”

8min/2017

サヴァイヴしつつあるメディア(8ミリ)でサヴァイヴしつつある肉体(癌患者)を描く。当初「サヴァイヴァル8」という上映企画に触発されて作った8ミリ作品を、さらにデジタルで捕獲することを画策。今回のVPのテーマ「雑居」は、まさに制作時に考えていたことだった。「メディア形式の雑居」「複数の視線の雑居」「良性悪性細胞の雑居」等々。なおタイトルは作者の当時の年齢(53才)とフィルムのフォーマット(8ミリ)を示す。



櫻井篤史 × 青井克己 Atsushi Sakurai x Katsumi Aoi

「囮の愛 冥い悟り」”The Decoy Affection & A Spiritual Enlightenment”

12min/2006

飲酒と古神道に於ける心的儀礼の相似を鋭く考察した駄法螺感覚満載渾身の一作。〈訪れ=音連れ〉という駄洒落にも似た概念は、多神教古神道ならではの神の顕在化儀礼ではなくてはならない所作である。神は常に居ない。唯、鈴や柏手を打ち鳴らした瞬間、常に居るのだ。これは量子力学的確率解釈そのものに他ならない。



アウレル・フェリエ Aurèle Ferrier

「TRANSITIONS」

12min48sec/2017

TRANSITIONS(変遷)は文明のない砂漠から最大の都会への旅である。ラスベガスを資本主義的、快楽度の濃い異常な例として取り上げている。この作品に人々や動く機械は登場せず、建物やデザインを熟視するものである。

TRANSITIONS is a journey from the civilizing void of the desert to a maximal urban, capitalistic and hedonistic density, which in the case of Las Vegas assumes some bizarre expression. The film is a contemplation without any people or moving machines in it, focussing on the built and designed.

※掲載情報は公開当時のものです。

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