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program-B

西崎啓介 Keisuke Nishizaki

「2023.05.14」

[Time/Year/Category]

1min/2024/アニメーション

3DCGというものが苦手で、10年以上にわたって挑戦しては挫折して、を繰り返しています。一般的な映像制作と比べて工数が圧倒的であること、文系の自分にとってはあまりに理数的で複雑であることももちろん要因ですが、映像がフレーム間の残像、あるいは瞬きの間の残像として、送り手と受け手の双方が干渉しうる余地のようなものを残しているように感じるのに対し、作り手の意図のみが反映された彫像をつくりあげる事を至高の到達点とし、またそれが実現するようソフトウェアに丁寧なロードマップを設けているCGへの不信感・違和感というものがどうしても捨てきれないというのが自分には大きいように思います。
「コンピュータグラフィックスが”鈍い意味”を獲得する日は来るのか」という事について論じたブログがインターネットにあります。企画・ストーリーが要求する造形を十全にその見た目に反映できるピクサーのCGIには、実写映画を見たときに感じる「役者が被った微妙なカツラの違和感」や「妙に濃い化粧」のような非意図的ノイズを宿すことは難しいだろう...という論旨の映画評論でしたが、苦悶の表情でPCに向き合い続けていた僕はどんなチュートリアルよりもこの考察に心を奪われます。様々なレイヤーの意味が輻輳し、受け手にその能動的解釈を要求し、また時系列的にも残像をはらみ....という映像の豊饒な「揺らぎ」に対し、3DCGはあまりにスタティックでイデア的で、要はなんというか、ものづくりのツールとして広がりを感じない...というのが数限りなく繰り返す挫折の中で僕が手にした(言い訳)気づきでした。
この(調子のいい自己正当化)天啓を得て以降、僕の3DCGに対するモチベーションは、完璧を目指すベクトルから「この小癪なポリゴンの集積にいかにして受け手の参加可能な『ゆらぎ』を見つけるか」へと切り替わっていきます。今回提出する(予定)の掌編ではひとまず、CGIが掲げる「完璧」の先に見えているとかく人口に膾炙しやすい造形や構成に背を向け、きわめて個人的で小さな出来事、かつ人によって判断の分かれそうな事柄を題材にとりつつ、視覚的にも見てくださる方の「印象」が固着しないルックを取ることで、能動的視聴の提供を模索することをテーマとした作品に(今から)します。また、僕自身が先ごろ都内から自然の濃い山奥に生活拠点を移した事をきっかけに湧き上がってきた「獣性」というものへの興味をこのコンセプトに織り交ぜることも(締め切り1週間前だというのにこれから)試みてみるつもりです。

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[Artist]

映像編集・ディレクター・コンポジター。20代のときを誰よりも一緒に過ごし「お前の結婚式のスピーチもう考えてあるんだからな!」と語り合った親友が昨年入籍したことを数人の友人を介して聞きました。

※掲載情報は公開当時のものです。

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