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【旅団をめぐる旅003「奥野邦利」篇】

 東京映像旅団結成19年の今年から20周(2025)年へ向けて、これまでの活動と現在地をセルフアーカイブする【旅団をめぐる旅】3人目の登場はなんと…旅団の設立者&名付け親でもある日本大学芸術学部映画学科の奥野邦利教授に旅団結成当時の話を聞きました。



【奥野邦利】経歴

1969年東京生まれ。日本大学大学院芸術学研究科映像芸術専攻修了。現在は日本大学芸術学部映画学科へ勤務する傍ら、変容するメディアと物語の関係を軸にした映像作品の制作を手掛けている。何よりも、写真(still image)と映像(moving image)との境界線の観察を喜びとしている。日本映像学会理事。






 ー 来年、東京映像旅団は結成20周年を迎えます。そもそもどのようにしてこの団体は始まったのでしょうか ー 

 

 (奥野)正直、はっきりした記憶はなくて、笑 ただ、今はクリエイティブディレクターで彼自身の会社の代表取締役をしている重松佑さんから、卒業しても前衛的な映像表現の上映の機会が欲しいって半分くらい脅されたような。。その時は自分も映画学科の専任教員になったばかりで今より時間もあったし、今年から映画学科の准教授になったアニメーターでもある芦谷耕平さんが助手だったりして、「じゃあやる?」みたいな感じだったはずですね。まあ、今は映画編集の講師もしてもらっている川越良昭さんと、映像作家の渡井登紀子さんに私を加えた映画学科同期生3人で時々上映活動もしていたから、会場費くらい僕らが出すよ!みたいなことは言った気がします。


 ー なるほど、私達が学生だった当時の映画学科では波多野哲朗さん中谷芙二子さん、大学院では松本俊夫さん山口勝弘さんなどビデオアートや実験映画のレジェンドたちが教鞭を執っていて当然ながら学生たちは影響を受けるわけですが、いざ大学を離れるとそのような実験映像発表の場はとても少なかったですよね… ー



                   ☆



 ー そもそも私たちの団体名を “東京映像旅団”と名づけたのにはどのような経緯がありますか ー

 


 (奥野)名前は恐らく私? 前衛を意味するアヴァンギャルドはフランス語の軍隊用語で、それを芸術の文脈に置き換える発想は面白いと思っていたことと、旅団というのが軍隊編成上の呼称なのに、日本語にすると妙にのんびりした響きであることを面白がって付けた気がします。旅団の前に東京映像としたのは、当初はもっと海外を意識していたからですね。2005年って言えば、YouTubeがアメリカでサービスを開始した年なんで、スタート地点での発想としてはまあまあだったんですけどね~笑


 ー たしかに“旅団”という言葉は発音としても書き文字としてもあまり決まったイメージに結びついていないのが良いですね…そのようにして始まった東京映像旅団は来年で結成20周年を迎えますが、これだけ長く続いたのはなぜだと思いますか? ー


 (奥野)これは、当初から継続を目的の一つにしていた部分はあります。いまでこそWEB空間で多様な映像表現を見つけることができますし、海外に目を向ければ多くの映画祭でエクスペリメンタル部門に応募することもできます。ただ、2005年の時点では大学以外で前衛的な映像表現の実践の場が少なかったこともあって、自分たちで場を守ろうという意識があったと思います。

 それでどうしたかって言うと、経済的な繋がりが薄い作家の集団は、民主的であろうとするとポリシーの違いでバラバラになりやすいので、活動の広がりという面では難しいところもあるのですが、メンバーを日藝の映画学科の同窓というふうに限ったことで継続を可能にしたと思います。これまでも、同じような活動をしている他のグループとの交流はしてきたので、若いメンバーには東京映像旅団を都合の良いプラットフォームとして外に出ていくことも応援したいですね。


 ー そうですね。学生時代に切磋琢磨してきた同級生や先輩・後輩そして指導師と学生という関係性が半ば続きながらも、お互いが一出品作家でもあるというメンバー構成は良かったのかもしれません。また個々のやる気に応じて東京映像旅団だけに出品する者や他の団体でも精力的に活動する者など、たしかにプラットフォームとしての機能はあったのかもしれませんね ー



10周年レトロスペクティブのチラシ(2015年)



                   ☆☆



 ー ではちょっと質問の角度を変えます。およそ20年の活動の中で歴代の参加作家それぞれに創作作品への想いがあると思いますが、より俯瞰して東京映像旅団としてはどのような価値を生み出してきているんでしょうか ー


 (奥野)価値ってそもそもなんでしょうね? 物質主義的な物差しならば、コマーシャルな世界で売れるとか、アートシーンで高く評価されるとかなんでしょうけれど、東京映像旅団がそれに貢献しているとは残念ながら思えない、、あ、、何人かは売れていますよ!笑 

 私には参加作家がどのような想いを持っていたかは分からないですし、それを代表して語る資格があるとも思えません。ただ、前衛というのは、物質主義的な物差しでは測れないということは分かっていて、それが価値化されれば前衛ではなくなることも自明でしょう。そんなことよりも、創造の炎が燃え続けている連中が、場を共有することの方が意味だとは思っています。芸術家には仲間が必要なんで。



                  ☆☆☆



 ー なるほど…では逆に一人の映像作家として奥野邦利はどのような表現に取り組んできたと思いますか ー


 21世紀になる前の話です。「君の作品にもう少しエロやグロがあれば良くなるよ」って恩師に言われたことがあって、その時に「風景だけでセックスも暴力も死も描いてみせる!」って無茶な決意をしたんです。恩師の言わんとすることは分かっていたんですよ。分かり過ぎていたからこその反発みたいなものかもしれませんね。そんな自縄自縛の私の姿をあの世の恩師が見たらと想像するときがあって、額に手を当てて「はっはっはっ」てあの独特のピッチの笑い声とショートピースのバニラの香りが甦ってきたりして、、それがリアルでちょいホラーみたいな気分になります、笑 でも、少しずつですがそれに近づいている実感はあって、これほど高く遠い到達点を与えてもらえたことに深く感謝をしています。





3枚とも『木阿弥の』(2023年)より



 ー …なんて言うんでしょうね、、結局私たちは学生時代の課題に今でも取り組んでいるだけなのかもしれませんね(笑)。10代20代の時期にふと発見した疑問がどんどん深くて遠くなりながらもその実体を現す過程というのは時間が掛かかります。たとえば昔の“日光写真”を例にとると、アレはちょっと動かすと像がズレるじゃないですか。やはり一人称の視点からの弛まない眼差しによって初めて姿を現すものの価値ってやはり重要だということでしょうか。だから「自分がいま作る作品を誰よりも私が観たい!」そのためにも東京映像旅団は今年も新作上映会をやりますっていうのでも私はいいと思います ー



                   ☆☆☆☆



 ー 奥野さん今回はお忙しいところ【旅団をめぐる旅】にご同行いただきありがとうございます。東京映像旅団結成当時の様子や団体名の由来など奥野さんからしか聞けないことが聞けて有意義な回になったと思います ー


(2024.7.16 Article.)

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