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【旅団をめぐる旅001「三木はるか」篇】

 <はじめに>

 この【旅団をめぐる旅】は東京映像旅団のメンバーやぐるりのことを取材してまとめた記事(一部のものは先にX『東京映像旅団おうえん団』上で掲載されています)です。


 東京映像旅団は日本大学芸術学部映画学科の卒業生で構成(2005年結成~2024年6月現在まで)されていますが、そもそもこの映画学科を進学先に選ぶ時点で既に個性的であろう若者たちが卒業後もおもに個人映像の制作を続けるのはなぜか?映画監督や作家、映像産業従事者・教職などのいわゆる専門家や、たとえそうでなくとも“クリエイティブな生活者”として日常をおくっている人たちはどんなことを考えているのか?

 映画学科で学んだ技術や知識を人生のたった4年間の占有物にはせず、常に更新し、いわんや完成させむとする者たちの逡巡やふとした確信のようなものを感じていただければ幸いです。



 【旅団をめぐる旅001「三木はるか」篇】

 (2024年5月『東京映像旅団おうえん団』X上の記事を再録・再レイアウトしています)


 [三木はるか]経歴

群馬県桐生市生まれ。日本大学藝術学部映画学科で脚本の勉強をしたのち、イメージフォーラム映像研究所で2年間実験映画を学びました。普段は都内の学習塾で国語の先生をしながらセルフ・ドキュメンタリー形式の極私的実験映画を作っています。寄席に行くのが好きです。

 


 ー まず今回の個展「三木はるか映像個展 in 札幌 セルフ・ドキュメンタリー自由形」が決まった経緯からお聞かせください ー

 (三木)北海道教育大学で教鞭をとられる映像作家の伊藤隆介さんからSNSで「北海道でも個展を」とお声掛けいただきました。毎年イメージフォーラム・フェスティバルにインスタレーション作品を展示している伊藤隆介さん。クスッと笑える仕掛けのあるところがたまらないのですが、伊藤さんが作品を組み立てているところをわたしが眺めたり、仕組みについて教えてもらったりといった交流がありました。遠方のため開催時期を見計らっていましたが、昨年ごろから都内のみならず色々な場所で自作を観てもらいたいと思うようになったので「今だ」と思いわたしからご連絡したところ、快く承諾してくださいました。




                    

                    ☆ 


 

 ー 東京映像旅団に参加した時期とその経緯を教えてくれますか ー

 (三木)東京映像旅団は旧映像コース(現映像表現・理論コース)の卒業生で構成された団体ですが、わたしは脚本コースの卒業。在学中に映像コースの授業、奥野邦利先生の「ビデオ研究I」を受けていたこともあり「実験性の高い映像」への興味が広がって、大学卒業後の2010年にイメージフォーラム映像研究所に入ります。大学在学時、東京映像旅団は「前衛・実験に命を捧げたものしか参加できない上映団体」と噂されていたので、参加できると聞いたときは内心びくびくしていました。

 今はなきアップリンク渋谷にて2012年開催の「東京映像旅団第6回上映会」に『もうアイドルなんかならない』(2012年制作)で参加しました。上映後の打ち上げで川越良昭先生に「編集がうまい」と言われたことに安心しきって、それ以降、新作を出品しています。


『もうアイドルなんかならない』(2012)



 ー そのように謙遜されていますが、三木さんが初めて東京映像旅団に参加した作品、そして存在感のインパクトはかなりのものでした。「わたしバスガイド、あなたたち修学旅行生」(2013)は職場の同僚(つまり学習塾の先生)に学ランを着させて修学旅行生に仕立て、本人はバスガイドとして振る舞うという怪作で、しかも旅団の上映会では作品と同じバスガイド姿になり受付でお客さんを誘導していたので、私は「とりあえず他人のふりをしよう」と思ったのを覚えています(笑) ー


『わたしバスガイド、あなたたち修学旅行生』(2013)


    第7回上映会 : screening 2013 アップリンク渋谷の上映会場受付にて



 (三木)映画内のコスチュームで現実に立つことは「虚実皮膜体現の試み」でした。というのは今考えた格好つけで、単に目立ちたがり屋だからです。“実験映画芸人”の三木はるかと呼ばれることがありますが、こういうことをやるからでしょうか。

 ー なるほど、“実験映画芸人”という言葉は初めて聞きました(笑) ー






                   ☆☆



 ー 現在三木さんは某学習塾で国語の先生として勤務しながら、精力的に個人映像を制作・上映を続けていますが、映像とは直接関係のない仕事をしながら映像作品を作り続けているのは何故なんでしょう ー




 (三木)抱えている悩みや願望に振り回されるのが嫌なのです。自身でよく考えたり相手と対話したりといった方法で解消できるはずですが、面倒くささや恥ずかしさが先に立つと動けません。ならばその気持ちを映画にしてみよう、上映して皆に笑ってもらおう、というカタルシスによって現実を動かそうとするので、現実の延長線上に映画が完成します。ちなみに解消できるなら映像表現でなくてもいい。この気持ちはダンスで伝えたい!と思う日がくれば踊ります。


 ー 三木はるかという映像作家、あるいは作品が目指すところはどの辺りにあるか教えていただけますか ー

 (三木)映画史の始まりから100年をこえて、脚本術やカメラの技法など、あらゆる見せ方が生まれました。個人的には「実験映画」と呼ばれる映像に好きなものが多いのですが、たとえば滝田洋二郎監督のピンク映画はおふざけが多く実験性も高いので、エロティックな映画の枠をはみ出していると言ってよいと思います。わたしはジャンルに分けて映画を観ておらず、表現上の工夫に魅了される観客です。誰かがスクリーン上で三木はるかがもがく姿をみて「なんだこりゃ!」と立ち止まってくれたら楽しいので、その楽しみが続く限りなんらかの表現はしていきたいです。


『三木自由律はるか2019』(2019)


 

 ー 「表現上の工夫に魅了される」という話が出ましたが、三木さんの作品ってリアルとフィクションの配合が独特だと思うんです。カメラの前に三木はるかが登場するときにちょっと自分を突き放したような視点があるというか…以前三木さんの個展に『諧謔のセルフイメージ』という副題がつけられていましたが、その自分の突き放し方に演出というか、三木はるかの存在する空間が一種の“遊び場”のようになっていて周りを一緒に巻き込んでゆくという。

 例えば私たちがSNSを使うときに“盛る”っていう表現がありますけど“盛る”はリアルな自分をよく見せたいという一種のフィクションですよね。でもこの虚構が機能するのは基本的にXやInstagramがまずは発信するメディアだからだと思うんです。一方で三木さんは“スクリーンに映りたい映像作家”と自称しているように作品が会場のスクリーンで上映されることに拘っている。さらには作品上映前に制作背景を説明するプリントを配ったり、作品に関わりのある文豪の姿でスクリーンの前に現れたり…これらの行為は映像作品を超えた双方向性というか遊びを延長させる行為なのか、あるいは何か責任の取り方のようなものなのでしょうか ー

 (三木)新型コロナウイルスの流行に伴い東京映像旅団が上映会をストップしていた時期からいくつかのことに挑戦します。「無観客上映会」「短歌ワークショップ」「上映中の場内パフォーマンス」など。どれも自作の上映を軸に置きながら、現実で三木はるかがアクションを起こすことで観客を巻き込む活動と言えるでしょうか。



三木はるか無観客上映会(2020)


『安吾のごときもの歩く』上映中の場内パフォーマンス〜スクリーンの写真を撮る、坂口安吾らしき人物〜(2022)


『安吾のごときもの歩く』上映中の場内パフォーマンス〜歩き回る、坂口安吾らしき人物〜(2022)


躓きを笑おう 自作短歌でかるた取り(2023)


躓きを笑おう 自作短歌でかるた取りの様子(2023)



 ドイツの映画監督で演出家でもあるクリストフ・シュリンゲンジーフ(1960-2010)を私淑しているのですが、社会を巻き込む挑発的なパフォーマンスがたいへん魅力の人物です。わたしの場合は社会よりも小さな、恋人・家族・職場といった共同体のなかでカメラを回しています。もっと世間を巻き込んで撮りたいし、上映会に来た人には三木はるかはスクリーンの内にも外にもいるという緊張感を与えて双方向性のコミュニケーションに持ち込みたい。どうなるかわからないことに身を置くのは好きなので、恥をかいてもいいから今これをやる!という気概で映画づくりもパフォーマンスも行っているために“盛る”とは対極のキャラクターが生まれ、それが“ちょっと自分を突き放したような視点”に映る要因になっていると思います。


 ー なるほど。“私”の中に事件を見出す三木さんの映像作品は前衛的ながらお茶の間の人気キャラでもあったというシュリンゲンジーフと重なるところがありそうです ー




                   ☆☆☆




 ー 三木はるかさん、今回はお忙しいなか東京映像旅団結成20周年(2025)へのセルフアーカイブ企画【旅団をめぐる旅】のインタビューを受けていただきありがとうございました。では最後に今回の上映会の見どころなどを教えてください ー

 (三木)上映作は伊藤隆介さんが選んでくださいました。『三木はるかるた2017』(2018年制作)は恋人にフラれそうな現状を何とかするために自作の恋愛短歌を100首詠み、かるたにして職場の人にかるた取りをしてもらうという映画。見どころは、母親が短歌の清書を手伝ってくれるシーンです。

 上映後に伊藤さんとのトークがあるので、より立体的に三木はるか映画を鑑賞できることでしょう。伊藤さんの自撮りビデオ作品『One Day』(1988年制作)の上映もあります。「三木はるかって誰だろう」というところに足を運べるお客さんは「損得を考えない映画好き」と言えますが、観たうえで「しまった!」となったらその胸懐をぜひ教えてください。


『三木はるかるた2017』(2018年)



 ー 三木はるかさんの作品は「もうアイドルなんかならない」(2012)から「花に喩える」(2023)まで10年以上に亘り鑑賞させていただいていますが、個人的には『わたしは恋人』(2021)のラストに衝撃を受けました。



 何て言うんでしょう…落語のサゲなのか、私にはドリフターズで最後に流れる『盆回り』が聞こえたような気がします。三木はるかにとっては恋人でありながら最強の敵の登場と言ったところでしょう(笑) ー


『わたしは恋人』(2021)


『花に喩える』(2023)



 では、ドン!(太鼓)三木はるか個展の成功を祈念し~~

フレーフレー、三木はるか!ありがとうございました。


(2024.6.24 Article.)

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