作品情報:「Impro.<インプロ>」岡村知美・西崎啓介
執筆:波多野哲朗
一人の女がアパートのダイニング・キッチンで踊る。音に合わせて、というより音に触発されて踊る。しかしこの女を躍らせているのは、音楽ではなくこの一室の内外から聞こえてくるノイズであった。
映画のはじまりは、スタッフが音を集めるためにアパート内外のあちこちにマイクを仕掛けるあわただしい情景である。ベランダに、廊下に、路地や公園に…と、集音のネットワークが広がっていく。そして女がやってくる。彼女はこの一室に集められるさまざまな音を聞くことになるだろう。室内では、流し台の蛇口から落ちる水滴の音、ガス台に点火する音、そして燃え上がる炎の音。部屋の外からは廊下を歩く人の足音、ふとんを叩く音。路地の方からは、人の足音、郵便配達のバイクの音、自転車のスタンドをはずす音、車の排気音やブレーキの音、茂みの虫の音、子供らの歓声、カラスの鳴き声などなど。彼女はこれらの音に触発され、身体のイメージを創り、みずからの身体に伝え、踊りはじめる。最初はゆるやかに、そしてダンスは次第に激しくなっていく。と同時に、私たちは音を発する場の情景を映像によって目撃することになる。音が激しく入れ替われるとき、それに応じて映像もまた交錯し、激しいモンタージュを繰り返す。そして最後は、静かな海辺の情景となる。波の音がかすかに聞こえるのどかな風景。すると彼女のダンスも静かになっていき、やがて終わる。
私は何よりも、都会の日常が発するさまざまな音に感応する身体というこの映画のテーマがとても好きだ。しかもその音の大半がノイズであることも、私を知的に刺激して止まない。なぜなら、ノイズを生きることこそ、今日という時代を生きる最も誠実な方法であると考えるからである。と、いきなり荒唐無稽な言葉を連ねてしまったが、要は楽しかったのだ。撮影も編集も巧みだったと思う。ただ気になる点が一つ。それは、たとえ彼女の踊りがimprovisationであるにせよ、この映画全体はimprovisationではない。むろんそのこと自体は一向にかまわないのだが、映画全体の構造においてまで、improvisationに固執しようとするドキュメンタリー的力学と、たとえば海辺のシーンに見られるようなイマージュをさらに飛翔させようという力学とが同居していることである。そしてこの矛盾が、ときに作品の構造にまで亀裂を生じさせていると思われるのである。