作品レビュー「PORTRAIT:Jane Doe」執筆:池端規恵子
- tokyoeizobrig
- 2015年11月10日
- 読了時間: 2分

“Jane Doe”とは誰か
執筆者:池端規恵子
タイトルにある“Jane Doe”とは「名無しの権兵衛 ”John Doe”」の女性名である。
ある女性が目覚めるシーンから始まる。お昼過ぎだろうか。ゆっくり起きて、まずお風呂に入る。洗濯機を回して、食パンをちょっとかじって、小雨の中を公園まで散歩する。いつの間にかもう夜だ。まだ湿っている大量の洗濯物を抱えてコインランドリーへ向かう。そして乾かし終わった洗濯物を、今度は自ら道路にばら撒いていく…
このシーンは中々際立っているのだが、それ以上に私には気になる映像があった。途中、彼女が電車に乗る所である。あれ?と思った。この子は電車に乗ってどこへ行って来たんだろう?降りるべき目的地は描かれず、いつの間にか家路についている。だったら電車に乗ること自体が目的だったのか。何のために?私には、そんな行動を起こす彼女の姿が、まるで「何かを探している」ように見えた。
この作品には、作者と役者の女性との、これまでの人生がミックスされているという。制作当時ともに25歳。二人の25年分の記憶や思いが、モノローグとして全編に綴られている。どこか鬱々とした印象を与えるのは、過去の自分を嫌っているらしいからだ。昔のことは捨てて生まれ変わりたい、と考えているように見える。でも本当にそうだろうか?彼女は、そんなことは不可能だと十分知っている…それ程に大人になってしまったのではないだろうか。
多くの女性が、一度は「もっと美人になれたら」と考えたことがあるはずだ。目が大きく、鼻筋が通っていて、スタイルが良かったらと。でもある時気づく。全身整形でもしなければ(しても限度があるけれど)全くの別人にはなれない。だから、自分の顔の長所を伸ばし短所を目立たせないために、それぞれに見合った化粧法を学んでいく。
生まれ変わりたくてもできない、捨てられないものを抱えて生きている「今の自分」の顔。彼女はそれを探している気がする。
ドビュッシーの幻想的な曲が全体を通して流れているが、少しアンバランスな感じがするのもそのせいだろう。この曲は、かつての彼女が思い描いていた理想のイメージだったのではないか…そう考えると、中々計算高い選曲だ。
“誰でもない存在しない人のポートレート”と作者は言うけれど、これはわざと付けたタイトルかもしれない。この作品からは懸命に「今の自分」の肖像を探しだそうとする、そんな作者の姿が見えた。


