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作品レビュー「鏡の鏡」執筆:川越良昭

  • 2018年12月1日
  • 読了時間: 4分

natsuko kashiwada

はじまりのおわりは、はじまり

執筆者:川越良昭


奥野邦利の作品について文章を書くのは難しい。それは彼の作品に何があるのかを指し示すことができないからだ。通常カメラは“何かを視る”機械である。そのカメラによって撮影された作品を私たちも反覆して“観る”ことによって作品は成立している。そしてカットはそうやって見られるたびに“意図”や“物語”という目的に収斂してゆく。奥野邦利の作品でカメラはまず、“ただ見る”ための機能しか持ちえない。さらにそれは“ありのままに見る”こととも違う。彼の作品では撮影されたものが“ありのまま”に振る舞うことも禁じられているからだ。つまり奥野邦利の作品では作品が成立するための特殊な経路を通ってきたにも関わらず、映像が“物語的”に変容していないので、私たちが安易に物語を紡ぐことも許されない。彼の2009年の作品に「虚空の鏡 -another version-」というものがあり、そのなかで占いで使うようなガラスの球を覗く彼自身の映像が出てくるが、奥野邦利の作品を観る我々はあたかも、永遠とそのカットを繰り返し見せられている気分になる。いったい奥野邦利はなぜ、このように難解な作品を作るのだろうか?


幼い頃に写真家の父からカメラを与えられた男の子は、何でもないものをフレーミングするという特殊な訓練を積んだ。普通わたしたちは、明確に表したい事やモヤモヤした何ものかを表現するためにカメラを手に取るが、奥野邦利は違った。早熟な男の子はフレームによって、自分から切り離される世界があるということを最初に知った。完全なる外部としての風景。自我を持った青年が見るものすべてに、意味や無意味を感じて自分の恣意や存在を位置づけるのではなく、ただ己を世界から孤立させる装置として彼はカメラを知ったのだ。今から25年前に奥野邦利が「My Heart」という作品を作ったとき、私は彼にタイトルを付けるセンスがないのだと思った。だが、それは違う。あの作品は“ゼロ”から自分の内面を投じる外界に、リアルに付けられた彼の決意表明としてのタイトルなのだ。まわりの若者が外界にカメラを向けることで獲得(投影)できる“自己の似姿”を奥野邦利は見つけられなかった。このトラウマが、シングルチャンネルでの発表を目的とした映像作品を作りながら、単にそのフレーム内表現では完結しない作品づくりに彼を向かわせたのだと思う。私は奥野邦利の作品は、ありがちな自己表現などではなくて、彼と外界との“契約”によって成り立っていると思う。自己を投影しない代わりに、外界はその“影”を見せてくれるという“契約”。

“ネガ”が創り出す物語の目撃者として奥野邦利は自分を位置づける。そ れは自己表出として作られた多くの作品に構成があり、クライマックスがあるのとは反対に、のっぺりとした“影”が創り出す永遠の“モニュメント”である。 その“モニュメント”に奥野邦利は自ら出演する(彼の作品の多くに自分が登場している)ことで自分の存在を“刻印”しようとする。そうやって彼は父の撮った幼い自分の映像(2008年「喪失の記憶」)や、いまは亡き父の生前のポートレート(2012年「記憶の形」)なども含み込んだ巨大な“私”という影のモニュメントを連綿たる作品制作という手段で作っているのだ。そして、その夢見られた“モニュメント”はこの「鏡の鏡」という作品で一度完成する。そしてしばらくののち奥野邦利は、このモニュメントを解体し自分の正史としての映像作品の編纂を始めるだろう。私はそう思わざるにはいられない。


「鏡の鏡」は次の3つのパートで成立している。

1、息子の撮影映像

2、自分の撮影映像

3、娘の撮影映像

自分以外の経路を経たものを、かたくなに拒否してきた彼の作品にとって、2/3が自分以外の者の撮影映像であるのは異例とも言える。「鏡の鏡」の第3部、カメラは娘に渡される、そこには前を歩く息子、自分の妻、そして自分自身が写され、神社の奥へ奥へと入ってゆく。その映像は意図的に組み替えられ、彼らが何処へ向かっているのかが分からない。だがこの映像、この娘の視点こそ、40年前に奥野邦利自身が体験したものではなかったか。自分の子にカメラを託すことで、ピーターパンの物語は新しいアリスによって引継がれた。そして、おのれの似姿を外界に獲得する奥野邦利の闘争は、一旦ここで終わる。新たなサーガの始まりによって。


「アリスはこう言いながらいつの間にか、だんろのかざりだなの上にのぼっていましたが、どうやってそこにあがったのかわかりませんでした。そして確かに鏡は、まるできらきら光る銀のもやのようにだんだんと溶けてきていたのです。次の瞬間、アリスは鏡をくぐりぬけて、鏡の国の部屋にかろやかに跳び降りていました。」

(「鏡の国のアリス」ルイス・キャロル、河合祥一郎 訳)


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