作品レビュー「さよなら私のかぞく」執筆:西崎啓介
- tokyoeizobrig
- 2016年5月20日
- 読了時間: 2分

鑑賞作品:「さよなら私のかぞく」池端規恵子
執筆者:西崎啓介
舗道を捉える手持ちのカメラ、そして、なぜだろうか、耳に飛び込んできた瞬間にそれだとわかる「お母さん」の声。何万回と呼んだであろう娘の名を囁く優しい声が、その後に続く二の句で、フッとそれまでと違う「観察者」の声になる。映像開始30秒で突きつけられたギャップに少し鳥肌が立った。きちんと劇場で上映した作品にこんなことを言っていいのか微妙ですが、ここばっかりはヘッドフォン推奨作品であると思う。
記録に固執する「母」の物語である。「母」の持つハンディカムからは一直線に針が伸び、その先に立つ被写体は風景ごと磔にされる。だけど、この標本は一時的なものだ。だってこの標本作製キットには防腐剤がない。アルツハイマーを患う祖父には『今』しかなく、未来に生きる娘はそもそもきっと『過去』を必要としない。
それでも「母」は今のその姿を時間に縛り付けようとする。「<記録>こそが死に対する部分的勝利である」と信じて疑わないその姿に、作者はホラー的とも言える執心を写し取ろうとカメラを向ける。家族を記録しようとしているその姿は本当に母なのか、拒絶を示した幼い私にレンズを向けていた瞬間、あなたは本当に「お母さん」であったのか、疑念をむき出しにして、娘は「母」を磔にする。
時に恐ろしくなってしまうほど遠慮のない突きつけあい。だけど我々は知っている。これは彼らが、「かぞく」だからできる関わり方だ。


