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作品レビュー「堤防」執筆:垣田篤人

  • tokyoeizobrig
  • 2015年11月7日
  • 読了時間: 2分

natsuko kashiwada

執筆者:垣田篤人


曼珠沙華ほど、禍々しい雰囲気を持つ花もそうそうないのではないだろうか。「彼岸花」という出来すぎた別名を持つこの花は、見るものの意識を自然と「彼の岸」へと連れて行く。


 池端規恵子の『堤防』は、主に作者自身と母親が撮影したと思われる「ホームビデオ」と、その舞台となった家の近所の風景で構成されている。「ホームビデオ」の部分に出てくる主な人物は、幼いころの作者、作者の母、作者の祖母だ。葬儀らしき映像がでてくるので、祖母はすでに亡くなっているものと思われる。一方、家の近所の風景には(作者の母が少しだけ現れたりはするものの)人の姿はなく、そこかしこに曼珠沙華が咲いている。


 一見すると、この作品で描かれた空間は「失われてしまった時間がさまよう場所」のようなものに見えるが、果たしてそうだろうか。奇妙なのは、現実には生きているはずの作者の母や作者自身までもが、まるで「亡霊」のように見えることだ。実際に亡くなっている祖母がそう描かれるならわかるが、「ホームビデオ」と近所の風景の両方に登場する母親も、幼いころの作者自身も、不思議なほど現実との連続性や身体性を持っていないのは、どういうことだろう。この二人の亡霊は、まるで撮影されることで現実から切り離された「映像の中だけにいる亡霊」のようだ。


 ここは、一体どこなのだろう。「彼岸」の近くにある場所か、それとも現実から切り離されたところにある場所か。もしかすると、それは作者自身にもまだはっきりとはわかっていないことなのかもしれない。「ホームビデオ」の中で幼い作者が「どこかへ行く」と言うが、その「どこか」を作者は探しているのかもしれない。



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