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作品レビュー「I must be somewhere about.」執筆:池端規恵子

  • 2015年8月31日
  • 読了時間: 2分

更新日:2025年11月7日

natsuko kashiwada

作者は今も「そこ」に居る

執筆者:池端規恵子


 この感覚をきっと何十年後も覚えている…そう感じる瞬間がかつてあった。私にとってそれは、ピアノ教室の帰りに車に揺られている時だったり、中学の帰り道ぼんやり自転車を漕いでいる時だったりした。うれしかったり悲しかったりといった感情の動きから解放されて、無心でいられるような…と言うと大げさだが、とても心地良く、ちょっとしたことで失われてしまうような微細な感覚だった。


 この作品にはそういう瞬間瞬間が、散りばめられているように思う。日が暮れてスーパーのような建物に電気が灯る様子(1997年7月)や、人通りの無い夜の交差点で遠くから救急車の音がしてくる様子(2004年11月)、閉店時間を迎えて次第に通りの店が閉まっていく様子(1994年12月)…。スーパーの景色は、買い物をする母を車の中で待っている中学生の作者が見た景色かもしれない。深夜の交差点は、大学のレポートか何かで徹夜している作者が、一時手を休めて部屋の窓から眺めた景色かもしれない。お店が閉店していくシーンは、まだ小学生の作者が、買い物が済んでいない家族を1人ベンチで待ちながら見た景色かもしれない。厳密にはどれも私の知らない場所や経験だし(似た経験はあるにしても)、その時の気持ちもまた作者独特のものがあっただろう。でもそれぞれのシーンに、私にとっての「あの瞬間」が描かれているんだなと感じた。作者の描く景色を見ているうちに、その時の感覚をはっきりと思い出せたからだ。


 注目したいのはタイトルである。翻訳すると『私はどこかその辺りにいるでしょう』。描かれているのは全て過去の景色なのに、未だに自分が『その辺りにいる』と作者は言う。


 生まれ育った福岡から家族で引っ越して来た作者の経緯を知る限り、ここに描かれている景色の数々は、作者がもう二度と同じ状況では見られないものと思われる。引っ越してしまった家から見た眺めや、住民ではなくなってしまった遠い街の風景。失ってしまった、現在の姿が確認できない景色だからこそ、作者の頭の中ではそれこそ何度も何度も再生されてきたに違いない。だからこの作品に描かれている映像は、作者が「かつて見た景色」ではなく、「今もなお見続けている景色」なのだろう。まるで当時の作者が、その瞬間のその年齢のまま、作品に描かれた映像の『その辺り』で息をしているかのようである。



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