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作品レビュー「35.499,139.408 to 35.643,139.609」執筆:川越良昭

  • tokyoeizobrig
  • 2018年1月30日
  • 読了時間: 2分

natsuko kashiwada

執筆者:川越良昭


 今回も、おムすび山本誠(以下、山本)は“映像をエンコーディングして音を自動生成するプロジェクト”(シノプシスより)で上映会に参加した。山本の作品には特にストーリーのようなものが無い。そこにあるのは今回のような“移動”であったり、前回の『Lat : 35.616191, Lng :139.561019』のような“時間経過”であったりする。


 いや、それ以上の映像的な叙述があるのかもしれないが、仮にそれは無くても良い。なぜならすべての映像がRGB情報に、そして3つの鍵盤が奏でる音に自動変換されるからである。結果的に変換された音に変化を持たせるため、使用される映像は画面を横切る鉄橋の柱の列であったり暗いトンネルから外に出るときのように明暗の差がある部分が選ばれたりしているが、それは映像主体ではなくどちらかというと(変換された)音主体になっているというところが、そもそもの発想の転換であると言えるだろう。その意味ではこの作品の制作は映像編集によって生み出されるというよりも、音楽として成立するように作曲されて完成しているのではないかと思う。でもだからといって映像的に無味乾燥な作品が出来上がっている訳ではない。この作品に現れるすべての映像の要素が、今までの私たちが考える(意味などの)優劣に従っているのではなく、ただの暗部や光の筋とビルや階段、横切る電車などが平等に音変換されている様子は大変美しいと私は思う。言い方を変えると、均等に変換された音を聞きながら観る映像は奥行きがなく平面的でありながらも、このとき私は車窓を眺めるただの“視点”のような気分がして大変心地いいということなのだが、これには個人差があるだろう(私は何よりも車窓の風景が好きなのだ)。


 そのようにして点在する建物や何かの構造、夜やトンネルやライトが作り出す明暗の刺戟を観てゆくと、最後になってカメラは駅のホームで電車を待つ人々をやはり音に自動変換しながら通り過ぎてゆく。このときになって作品を観る私たちは一様に複雑な気持ちになるだろう。それは我々と同じ駅で待つ一人一人の存在が、もちろん何のためらいもなく音のような“記号”に自動変換される現場を目撃してしまった(そして人々が変換された音は鉄橋や照明が発する音と大差ないことに気づいてしまった)からであるが、そう考えるとこのプロジェクトは単なるアイデアだけではなく、十分に批評性を獲得できることが証明されたと言えるだろう。


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